アメリカ人って、「知られざる○○つの~」って題が、好きですね~
ご好評いただいているテスラ製品の
天才科学者 ニコラ・テスラについての第?弾
今回は、彼の自伝から引用したニコラ・テスラの興味深い逸話を、
拙訳してみますね。
ニコラテスラ 知られざる8つの興味深い逸話
ニコラ・テスラは、さまざまな発明や技術で知られている。
この有名な発明家について知られてないかもしれない、8つのことを挙げてみよう。ニコラ・テスラは、これまでで最も魅力的で、奇妙で想像力に富んだ天才である。
彼と彼の発明については、多くのことが書かれている。
ニコラ・テスラの自伝、「My inventions」には、彼の心の中に起こるひらめきや発明の、ビックリするような逸話が羅列されている。それは読む人の心を吹っ飛ばし、でも理解するのは驚くほど簡単である。
ニコラ・テスラは、話が上手い人でもあったのだ。
以下の引用は、ほとんど彼の自伝からのものである。ニコラ・テスラは言った、「脳の創造が成功へと展開していくのは、友だちも愛も寝食も忘れるほど熱中させ
発明家として、これほど心躍らせるスリルはない。」そのニコラ・テスラについて、知られてないかもしれない8つの興味深い逸話がある。
1.ニコラ・テスラは ギャンブルにハマってた
ニコラ・テスラの父親は、ギャンブルにハマっている息子に激怒していたが、母親は、息子の人間としての成長の一過程と、理解していた。
彼はしょっちゅうトランプゲームでお金をスッてしまい、もうスッテンテンになって賭けができずにショゲてたら、母は彼に札束を渡して言った。
「行って遊んできなさい。お前がうちのお金を全部スッてしまえば、お前はどうにかしなくちゃならなくなるだろうから。」そしてそれは功を奏した。
彼のギャンブル熱はこの時点で冷め、二度とギャンブルをしたいと思わなくなった。
彼はまた一時、ヘビースモーカーにもなった。
それが自分の体を壊すと気付くと、これもきっぱりやめた。
彼の経験した自制心の修得は、自滅に向かっている人々を救うに値する。2.ニコラ・テスラは、発明の才を、母デュカから譲り受けた
彼自身の言葉によると、「私の母は発明家でした……彼女はあらゆる種類の道具や装置を発明し、作り上げ、すばらしいデザインを糸から織り上げました。」と言う。彼の母親は、発明家の系譜を継いでいたのだ。
母親は家族のために日の出から夜遅くまで、数え切れないほどのことをしていた。彼は母を非常に尊敬し、「稀なスキルに加え、苦難をのりこえる力と勇気を持っていた」と語る。
3.ニコラ・テスラは、頭に浮かぶヴィジョンを利用して 17歳で発明を始めた
彼の発明は、いかなる論理を使っても、思いつかなかった。
代わりに、彼が問題解決とは無関係の活動をしている間に時々現れる、深く想像力豊かで、高度に発達したヴィジョンに頼った。
これはアインシュタインも経験しており、組み合わせ遊びと呼ばれている。
ニコラ・テスラ本人の言葉では、「私には、モデル、図面、実験は必要ありませんでした。
心の中でそれらすべてを、本物のように描くことができたからです。
このように、私は無意識に、発明の概念と考えの新しい方法を発展させられました。
そして、それは純粋に実験的なものの反対側に急進的にある…」ニコラ・テスラは、インスタント実験が主流の科学的実践は、自分が発明した方法より劣っていると考えた。
彼は自分の頭の中で発明をやり直し、細かく調整し、そして完成させた。
それによって、彼がこれらの精神的な構成を現実に変える前に、エンジニアリングの問題を解決した。彼は、頭に浮かぶ最初の鮮烈なヴィジョンなしに、大雑把な考えを実行しテストすることは、時間とお金、エネルギーのムダだと思った。
4.ニコラテスラが作り出した人工雷
1899年、彼のコロラドの研究所で、ニコラ・テスラは何百万ボルトもの長さと最大135フィートの長さの人工的な落雷事故を起こした。
未だ誰も、この偉業を再現したことはない。5.彼の高周波発振器が マーク・トウェインの便秘を解消
ニコラテスラは、マンハッタンの研究所に「地震機械」と呼ばれた高周波蒸気駆動発振器を持っていた。
蒸気は振動子に押し込まれ、電機子に取り付けられているピストンを上下に動かし、それが高速で激しく上下に揺さぶり、電気を発生させていた。
マーク・トウェインが便秘に苦しんでると聞いたニコラテスラは、
ある晩、研究所に彼を招き、発振器のプラットホームの上に立つよう言った。2分も経たない内に、マーク・トゥエインはプラットホームから飛び降りて、トイレに急行した。
そして彼の便秘は、解消したのだ。6.ニコラ・テスラには デーンという 彼より優れた兄がいた
彼の兄はある晩、テスラ家が所有していたアラビア馬で、ケガを負った。
馬は山のオオカミの群れに怯え、彼の兄と父親の両方にケガを負わせたのだ。
兄はこのケガが元で、亡くなった。ニコラテスラは自伝の中で、「私はこの惨劇を目撃し、56年経ってもあのシーンは、頭から消えない。」と述べている。
12歳の兄が死んだ時、ニコラテスラは7歳だった。彼は兄の没後、自分よりはるかに優れた知性を持っていた兄に比べ、自分の能力は価値がなく、恥ずかしいと感じていると認めている。
7.ニコラテスラは、女性は最終的に男性より知的に優れると信じていた
彼は将来的には、「男女の平等への闘いは、女性が優位に立つことで、新たな性秩序に終わるだろう」と予測した。
彼は続ける。「女性は男性を模倣するのではなく、知的に目覚め、世界的な支配力になります。」
女性が抑圧されてきた歴史で、強力で発酵するエネルギー源を生み出し将来出現すると彼は信じていた。
「女性の能力は、何世紀にもわたる休眠のため、いっそう激しくて強力な活動に刺激されるでしょう。
女性たちは先例を無視し、彼女らの進展で文明を驚かせるでしょう。」8.ニコラテスラの 数々の奇妙な強迫観念と行動
彼は、人間の髪の毛へ嫌悪感を抱いていて、「銃をつきつけられても」触れることができなかった。
また、液体で満たされた皿に小さな正方形の紙が落とされると、彼の口の中には、恐ろしい味が広がる。
彼は3と3で割ることができるすべての数に、独特の愛着を抱いていた。
メイドに18枚のタオルを届けさせ、ホテルの部屋は、207号室に泊まることを選んだ。
両方とも、3で割れる数だ。
彼はナプキンを一枚一枚取り上げ、テーブルの上に山積みにしないと、食事を楽しむことができなかった。彼の視覚感度は、誰かが雪の上を歩いた後に、輝く道を見ることを含んでいた。
母親が亡くなると、彼の頭には、しばらく白髪のパッチが現れた。
晩年、彼はハトと恋に落ちていた。
彼のお気に入りのハトは、灰色の翼に白い小さな模様があり、ハトへの愛を説明している。
「私は男として彼女を愛し、彼女も私を愛した。彼女がいる限り私の人生には目的があった。」
https://interestingengineering.com/8-curious-things-nikola-tesla-probably-dont-know
「3で割り切れる数」の謎は、「テスラコード」で、ご紹介しましたね。
マークトウェインの便秘を治した時は、抱腹絶倒したいのをこらえ、終始神妙な顔を保ってたって言いますが
かなりやんちゃで、髪の毛と真珠が苦手な、とても変わった人だったようです。
でもいつも息子を理解し、信頼してくれた、偉大なお母さんがいたのですね。
ニコラ・テスラのママ、デュカは、8人兄弟の一番上で、16歳の時母親が失明して以来
7人の弟妹の面倒を見てきた苦労人だそうです。
ニコラ・テスラは、5人兄弟の4番目で、雷鳴轟く嵐の晩に生まれ、助産婦が「嵐の子」と言ったところ
テスラママは、「いいえ、この子は光の子です」ときっぱり言い切ってます。
文盲なのに詩を暗唱し、才知あふれる女性だったようです。
人には見えないヴィジョンに悩むニコラ・テスラの少年期、テスラママは、息子の能力を肯定し、後押ししてくれました。
ここで、他人にはない能力を否定されていたら、彼は才能を花開かせることができなかったかもしれません。
テスラママは、いろいろな道具を発明するだけでなく、芸術的な針仕事をこなし
ニコラ・テスラは、ママが刺繍した旅行鞄を、生涯持っていたそうです。
ママが亡くなる時、ニコラ・テスラは、直観でわかったそうです。
「母を失った喪失感は、人生のどんな悲しみより深く、自分をつかんで離さない」ニコラ・テスラ 1924年
5月12日は、母の日。
特に母の日じゃなくても、いつも心配してくれるお母さんに、
いつまでも元氣でいてくれるよう、テスラ・ペンダントを
毎晩ぐっすり眠れるよう、また痛みのある所にあてるための、
テスラ トラベル・プレートを、プレゼントしては、いかがでしょう?
「先日両親に、テスラペンダントをプレゼントしたところ
何十年と、2日おきくらいの片頭痛で苦しんでいた母の頭痛が、ピタリと止まりました。
母は全く信用していなかったのですが、もうペンダントを手放せないそうです。」
「今年は「蚊」に刺されませんでした。 蚊がいても刺されないんです。
テスラペンダントを着けてる母も、同じだと言っていました。」
「ありがたいことに母は、トラベルプレートを腰に巻きっぱなししていたところ、腰の痛みがなくなったと, 話していました。」
「母にトラベルプレートを渡し、胃の上にのせるように言い、一晩寝たら、不思議と回復したようでした。」
「福島の母は、ペンダントをつけて、体調が良くなって、喜んでおります。
母が、トラベルプレートを腰の痛むところへ当てていたら、痛みがなくなったと言っております。」
「両親が毎日、テスラを使っており、二人とも満足しています。
特に母は、毎日夜になると、足がツッていたのが、昨日『テスラを使い始めてから、足がツラなくなってるわ!』と喜んでいました。」
「軽度の認知症の母に、トラベルプレートを持たせたら失くすかなと思ったら、しっかりして大変落ち着いているのです!
自分から、膝の痛いところにプレートを当てて、『これ当ててると痛くなくなるのよね~』なんて言ってるので、もうビックリ!」
「母より『昨夜はプレートをさっそく布団の下にいれて寝てみました。
いつも夜中に二回はトイレに起き、その後なかなかなか寝付けなかったのですが、昨夜は思いがけなく布団を離れるのはつらいほど、よく眠れました。
お父さんもさっそく、枕の下にいれて寝ました。まもなく軽いいびきを立て始めました。
お父さんもお母さんも、一生手放せなくなりそうです。本当にありがとうございました。』という嬉しいメールが届きました。」
良い「母の日」を、お過ごしください。