地震でも、台風でも、
停電してしまうと
現代の私たちの生活は、成り立ちません。
そんな便利な電気文明の基礎を築いてくれた
ニコラ・テスラ
今回は、彼の言葉をいくつかご紹介しましょう。
「完成すればすぐに、ニューヨークのビジネスマンが指示を言えば、それをロンドンやその他の場所にあるオフィスで、即座に活字にすることができるようになる。自分のデスクから電話をかけ、世界中の誰とも通話することができるようになる。腕時計ほども大きくない安価な機器さえあれば、海でも陸でも、音楽でも歌でも、政治指導者の演説でも、著名な科学者の演説でも、どんなに遠く離れた場所でも、雄弁な聖職者の説教でも、どこでも聞くことができるようになる。同じように、どんな絵、文字、図面、印刷物でも、ある場所から別の場所に転送することができる。
何百万台ものこの種の機器を、たった1台のプラントから操作することができるのだ。しかし、これらすべてよりも重要なのは、電線を使わない送電であり、これは信念を貫くのに十分な大きさで示されるだろう。これらのわずかな兆候は、無線技術がこれまでにしたどのような発明や発見よりも大きな可能性を提供するであろう。条件が整えば、今後数年のうちに、その応用によって驚異がもたらされることを確実に期待できる。」「ワイヤレスアートの未来」ワイヤレステレグラフィー&テレフォニー ウォルター・W マッシー&チャールズR. アンダーヒル、1908年、pp。 67-71。
まさに、音声や画像を瞬時にどこにでも送れる技術は、現代のインターネットそのものであり、
100年以上前に、ニコラテスラは、その技術の元を築き、予言していました。
電線を使わない送電は、100年以上経った今でも、私たち庶民には、実用化されていませんが・・・
「私たちは驚くべきペースで進歩していますが、実際のところ、最もうまく開発された分野では、まだ地面が切り開かれているだけです。
これまで電気によって実現されてきたことは、将来に待ち受けていることに比べれば取るに足らないものです。」
「奇跡の時代の幕開け」『Manufacturer’s Record』誌 1915 年 10 月 7 日
本当はもっと、安全な電気を、世界中どこにでも無料で届ける、フリーエネルギーを考案していました。⇒ 「フリーエネルギー by ニコラ・テスラ」
古代人の迷信は、もし存在したとしても、彼らが無知であったことの確実な証拠とはなりえません。
驚くことに、古代人は光線やシビレエイなどを、電気治療に使っていました。
古いコインには、ガルバニック電池が生み出すような双子の星や火花が描かれているものもあります。
記録は乏しいけれども、少なくとも、琥珀現象のより深い知識を持っていたという確信が持てるものです。1つ挙げるとすれば、モーセは間違いなく、その時代よりはるかに進んだ実践的で巧みな電気技師でした。
聖書は、シルクカーテンに対する空気の摩擦によって電気が発生し、コンデンサのように作られた箱に収納された機械を構成する配置が、正確かつ詳細に記述しています。
アーロンの息子たちが高電圧放電によって殺されたこと、
ローマ人のベスタルの火災が電気的だったと考えるのは、非常に納得できます。
ベルトドライブは、あの時代のエンジニアには知られていたに違いなく、静電気の豊富な進化に気づかなかったとは考えにくいのです。」“電気が創造した驚異の世界” 1915年9月9日付『Manufacturer’s Record』誌。
古代の人は、現代のわれわれよりも、電気をよく知り使っていたという説もあります。
古代都市は、現代のプリント基板そのもので、アーチ門や古代建造物は、コンデンサやアンテナの役割をしていた?など・・・
その後、解剖学、生理学をはじめとする科学のあらゆる分野で大きな進歩があり、人間と機械の仕組みは完全に明らかになりました。
しかし、私たちの中で、自分の行動を第一次的な外的原因にまで遡ることができる者はごくわずかです。
私がこれから述べる議論には、私自身が長年の綿密な推論と観察によって確立した主要な事実です。
次のように要約できる主な事実を念頭に置くことが不可欠です。
1. 人間は完全に外部の影響のコントロール下にある自走式の自動機械です。
意図的であらかじめ決められているように見えますが、その行動は内側からではなく外側から支配されています。
人は荒れ狂う海の波に翻弄される浮きのようなものです。2. 永続的な印象に基づいた記憶や保持力はありません。
私たちが記憶と呼んでいるのは、繰り返される刺激に対する反応性の増加にすぎません。3. デカルトが教えた、脳が蓄積器であるというのは、真実ではありません。
脳には永久的な記録はなく、知識が保存されることもありません。
知識はエコーに似たものであり、それを呼び出すには撹乱が必要です。4. すべての知識や形の概念は、網膜で直接受け取った外乱に反応して、またはその微弱な二次効果や反響に反応して、目という媒体を介して呼び出されます。
他の感覚器官は、存在の現実性を持たず、概念を形成することができない感情のみを呼び出すことができます。
5. 心の認識は幻想であるというデカルト哲学の最も重要な教義に反して、目は外部のものの真実かつ正確な類似性を心に伝えます。
これは、光は直線的に伝播し、網膜に映る像は外形を正確に再現したものであり、視神経の仕組みにより脳への伝達の際に歪むことがないためです。さらに、このプロセスは可逆的である必要があります。
つまり、エコーが元の乱れを再現できるのと同じように、意識に呼び出された形は、反射作用によって元のイメージを網膜上に再現できます。
この見解が実験によって裏付けられる場合、その結果、あらゆる人間関係と活動部門に大きな革命が起こるでしょう。」–”宇宙の力はいかにして我々の運命を形作るのか” 1915年2月7日、ニューヨーク・アメリカン紙。
ちょっと、むつかしいです・・・
「死は存在しない、そしてそれを知ることで死への恐怖も消える。そして覚えておいてほしい、これまで存在した人間は一人も死ななかった。
彼らは光となって存在し続ける。その秘密はその光の粒子を元に戻すことだ」
元の状態に戻ります。以前のエネルギーの 1 つに戻ります。
キリストや他の人々はその秘密を知っていました。
私は人間のエネルギーを保存する方法を探していました。
それは光の種類の 1 つです。
魂の中で、それは時には最高の天と同等になります。
「光。
私は自分自身のためではなく、すべての人の利益のためにそれを求めました。
私の発見は人々の生活をより楽にし、より耐えられるものにし、彼らを精神性と道徳に導くだろうと信じています。」
これは宗教を超えて、今よく言われていることですね。
“電気とは何か “と毎日自問自答しても、答えは見つからない。
あれから80年が過ぎたが、私はいまだに同じ質問をし、それに答えることができない。科学者もどきが、「自分はできる」と言うかもしれないが、それを信じてはいけない。
なぜなら、私の実験室での仕事と実践的な経験はより広範であり、私の人生は3世代にわたる科学的研究に及んでいるからである」
(“年配によって語られる青春の物語 – ミス・ポーラ・フォティッチに捧ぐ。 ” ホテルニューヨーカー 1939年)
ニコラテスラは、晩年まで探求する人でした。
発明した、誰もが無料で使うことができる、安全でクリーンなフリーエネルギー電力が潰され
普及していく交流電流の電磁波のリスクを解消するために研究を続け、その技術をのこしていってくれました。
それが、テスラ製品です。
これも、自然界にある安全で無尽蔵なフリーエネルギーを、呼び込み、自然から遠ざかった私たちに注いでくれ、自然に戻してくれる技術です。
世の中には、安く買えて、でもメンテナンスや交換、買い替えで稼ぐ、ビジネスモデルが多いですが
テスラ製品は、一度買えば半永久的で、メンテナンスも交換もコストもかからないところが、ニコラテスラの、人類に貢献しようとした信念そのものだと思います。
私たちが、便利に安全に電気を使い、健康に暮らし、光を求めて精神的、道徳的に向上すれば、
自分自身のためではなく、すべての人の利益のために探求してくれた天才ニコラ・テスラも、本望でしょう。
ニコラテスラの遺していった技術は・・・
成長期のお子様にも
9歳以下のお子様に